「答え?別に見ていいよ」 “許容的養育”

「答え?別に見ていいよ」

「答えを見ていいかどうか?」

聞かれた時にぼくはそう伝えています。

目次

答えを見ていい理由

答えを見ていいと考える理由は、

▶︎分からない時間が勿体無いから。

また、

▶︎勉強はいろんな手段を使って知らないことを知っていく作業だから。

このように考えているので、

答えは見てOKです。

でもぼくは自分の生徒に、

“答えを解くプロセスを学んでいく事のみが重要だ”

と日々伝え続けています。

・先走って答えを出そうとしたり、

・手抜きで選択肢を回答したり、

・あて勘で解いたり、

するようなことがあれば、

ぼくから

「なんで?なんでそれそうなったの?」攻撃が飛んで、

ぼく自身がスッキリするまで逃しません(笑)

だから、「答え見ていいよ」と伝えても、

写したりズルしたりするのではなく、

小学生〜高校生まで「なるほど〜」とうなづきながら、

解説を中心に読むように調教されている状態になっています(笑)

たまに授業中に、定着度確認のため、

小テストをするのですが、

目の前に解答が落ちていても

それを絶対に見ないし

見ようという気も起きないのが

ぼくの生徒たちです。

これに関しては

本当に教育の成功だと自負しています(笑)

さて、

「答え見ていいよ」という声かけは、

上記のような関係性によるものもありますが、

実は、

「答え見ていいよ」というたった一文の声かけにも

ぼくは色んな意図を込めています。

【勉強の心理的ハードルを下げる】という意味で

こういった声かけをしております。

「答え見ていいよ」が与える教育効果

「答えを見ていいよ」と伝えてあげると、

【勉強の心理的ハードルを下げる】

ことができ効果的です。

ぼくは常々

「勉強の心理的ハードルを下げるにはどういう声かけをしていけばいいか」を探っています。

大前提を話します。

絶対に勘違いしてはいけないのは、

“基本的に子供は勉強が嫌いだ”ということです。

もちろん好きになりやっている子もいますが、

それでも他にゲームやスポーツ、友達と遊ぶなど、

“もっと楽しいことがありそっちをやりたい”

というのが基本心理です。

また大人のように、

“やりたいことをやる前に、まずやるべきことをやる”

といった”責務を果たす”という考え方もありません。

だから要所要所で、

勉強の心理的ハードルを下げてあげる

声かけをしてあげる必要があると確信しています。

大人だって嫌いなことは嫌だ。

ここで、

大人であるぼくらも一度、

子供の目線に立ってみましょう。

そして、

日々嫌なこと(辛いこと?)を行わなければならない…というシチュエーションを考えてみます。

例えば、ぼくが毎日行っている10kmマラソン。

ぼくはいつの間にか慣れてしまっているのですが、

殆どの大人は

マラソンなんて続かないし嫌だと思います(笑)

そんなマラソンを明日からしなくてはなりません。

そしてなんとコーチがついていると仮定して(笑)

そんな時に、

「絶対に全力で走って完遂しなさい」

と言われたら、どう思うでしょう。

こんなことを言われたら辛くなり、

「どこかでサボってしまおう」

「歩いちゃおう」

「ショートカットしてしまおう」

という考えがいつしか出てきてしまいます。

しかし、

「もし本当に疲れたら、

途中で歩いたり、水飲んだりしていいよ」

と言われたら、

もちろん最初はサボったりすることも

あるかもしれませんが、

「明日はこの地点までは頑張ろう」

「明日はもう少しスピード出して走ろう」

など、様々な前向きなアイデアが

色々と湧いてくると思います。

そして、

末長く継続が出来る可能性が

高くなるでしょう。

もちろん、

「ちゃんと全速力で完遂してこそ、

心臓や筋肉が強くなり、結果早くなるんだ!」

そんな反論もあると思います。

ちなみにぼくも自分自身に

何かを課すときはこの考え方です(笑)

しかしこれが適用できるのは、

●かなりストイックな考え方を持っている人

●すでにトレーニングをしてきて下地がある人

これに限られます。

“やりたくない”

“やった事がない”

“自信がない”

こういう状況の人に、厳しい声かけをしても

“暖簾に腕押し状態”になって終わりです。

多少の”甘え”が用意されていた方が、

伸びは早いし、長期的に見ても

最終的に確固たるものが出来上がります。

心理学の世界では

実際に、心理学においても

“許しや余裕、甘えが人の成長に寄与すること”

を示す言葉や概念に

「許容的養育(Permissive Parenting)」

「安全基地(Secure Base)」

という考え方があります。

1. 許容的養育(Permissive Parenting)

子どもに対してある程度の自由や許しを与え、自己表現を尊重する育て方の一つです。

過度な規制をせず、子どもが自らの判断で行動できる環境を提供することで、自己肯定感や創造性を育むとされています。

もちろん、バランスが重要ですが、適度な甘えや余裕が成長を促すという考えに基づいています。

2. 安全基地(Secure Base)

アタッチメント理論に基づく概念で、子どもが探索行動をする際に、心理的に安心できる存在(多くの場合は親)がいることで、自信を持って新しいことに挑戦できるというものです。

安心感や余裕を与えることで、個人は成長することができます。

まとめ

このように、

・効率的に考えたり

・関係性をによって変えたり

・心理学的に考えたり

試行錯誤しながら、

ぼくは常に家庭教師として生徒に接する時に、

言葉を選びながら伝えるようにしています。

勉強を教えるだけの家庭教師の時代は終わった。

うまく誘導して、

“自走できる子供を育てる”

それを念頭に本日も授業をしております。

ぼくは常に、

「家庭教師としての自分の価値は何か?」

ということを考えています。

正直、偏差値60を超えている子供は、

塾で自走できているし、

家庭教師は無くてもやっていけると思います。

しかし偏差値45〜55の

いわゆる”ボリュゾ”と呼ばれる層の子供は、

家庭教師の手腕によって大きく

命運がわかれると思います。

ぼくがやるべきことは、

1.基礎の徹底

2.学習習慣の見直し

3.モチベーションUP

大きく分けてこの3つですが、

必ずこの3つのどこか、もしくは全てに

改善すべき課題が溢れています。

「ケアレスミス無くしなさい!」

「勉強をもっとしなさい!」

「やる気出しなさい!」

これで改善されたら人生苦労しません。

ぼくはしぶとく、時には家庭の問題にも

踏み込みながら

上手くワークさせることを心がけています。

ぼくの持ち前のキャラクターで

生徒さんとは仲良くなりますし、

親御さんとも仲良くなります。

そこは当たり前で、それ以上に、

その生徒さんの成績を上げるために

“本当に必要なこと”を見抜いて、

毎回アレンジして指導をしていきます。

同じ生徒さんでも

時期によって、気分によって

やるべき内容は変わってくると思います。

だから、自分も変化して成長して、

生徒さんにも変化して成長してもらう。

これがポリシーです。

授業のご相談だけでなく、

受験のお悩み相談なども随時受け付けております。

お気軽に連絡くださいませ。

takao.katakawa@gmail.com

090-9311-0379

素敵な出会いをお待ちしています。

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